公僕の警部・外伝

公僕の警部・外伝

/*/

-イントロダクション-

 兄は、誰かを愛さずにはいられない人でした。
そしてそれで自分が道を間違っても、後悔のそぶりさえ見せた事はありませんでした。

時田渡の述懐

/*/

 都会化した川辺にも夕風は流れている。
小学生の正吾は土手に座り込み、夕風の中心のような、夕陽を見ていた。

目に、涙が浮かぶ。袖で男らしく、涙を拭いた。

土手の上を買い物袋を持った女が歩いている。
その脚をとめた。正吾を見て、何を思ったか、急に向きを変え、買い物袋を脇に置き、正吾の隣に座った。

正吾は驚いたが、土手は自分のものと言うわけでもない。なので、ちょっと退けただけだった。

「何か悲しいことがあった?」
女は優しく言った。

「別に」
正吾は言った。

「なるほど」
目を伏せて、女はそう言った。
自分の母よりは若いのに、母と同じような雰囲気を漂わせる女性だったことに正吾は違和感を思った。観察する。この頃の正吾は、さりげなくという、言葉も知らない。

「俺が泣いてるから隣に座ったの?」
「そうね」
「おばちゃんは先生?」
「ううん。ただ、今まで色々失敗してきたからね」
「それと何の関係があるの?」

女は窓の外を見るように遠くを見た。

「失敗したくないの。もう二度と。昔、どこかの誰かがやってくれると思ってたわ。知らない所ではうまくいくなんて思ってた。でも嘘だった」

女こそ泣きそうだった。女は口を開いた。
「分ってたのにね。嘘ってことは。自分の後ろには、誰もいないのよ。自分が最後なの」

正吾は首を振った。真面目なのは分るが、難しい話だった。
「分らない」
「でしょうね。ま、大丈夫だなんか思ったら大間違い、たいていはここで退いたら、後はないって事」

女は昔を踏み越えたように、笑って正吾を見た。
正吾は難しい顔。
「だから」
「だから横に座ったの?」
「そう」

女は眉を動かして微笑んだ。一緒に夕陽を見る。
体育座りする正吾。

「おばちゃん誘拐犯?」
「子供は好きだけどね。ううん、違うわ」

しばらく黙る正吾。

「俺の回り、皆が文句をいうんだ」
「貴方に?」
「ううん。皆が皆に」
「愚痴ね。それで?」
「嫌なんだ」

「……そう」
どこかやさしく、女は言った。頭をなでたかったのか、手が動きそうだったが、結局動きはしなかった。

一人いじける正吾。
「悪いことはあると思うけど、それだけじゃないと思うんだ……」

女は微笑んだ。
「うん。そう思う」

女は正吾を励ました。
「貴方はいい方に物事を運べるわ」
「そうかな」

女は微笑みで正吾の頭をなでた。
「うん。きっとそう」

 正吾は女の顔を見た。笑いかけるというのは、大切なのだなと、そう思った。

/*/

 正吾が女のことを忘れる前に、話が来たのはある意味運命だったのかも知れない。


正吾の両親が子供を引き取るか迷っている時に、断固として引き受けるのを主張したのは、正吾だった。

「俺、弟欲しい」
「でも正吾、弟と言ってもまだ赤ちゃんよ。あなたと9つ離れているの」
「それでも欲しい」

正吾は言った。
両親は頑固な言葉を聞いて苦笑した。弟がどんなものか、想像の中にしかないのだと、決め付けた。

実際は、少し違った。
正吾はここで引き取らなければ、その子は不幸になると計算していた。
自分の家は幸せだが、他人の愚痴を聞く限りは、そうは思えない。だからここで手を伸ばさなければ、その子は必ず不幸になるだろうと、思っていた。

だから声を出した。理由も考えも子供だったが、正吾はここで退く訳には訳にはいかなかった。退けば、その子に後は絶対にない。

結局それが、正吾の両親を動かした。
断固たる正吾の態度を見て、子供を引き取るにあたっての多額の現金以外の、打算以外の部分も少しばかり動いたのだった。

「そこまで言うなら、弟が出来たとしとこうか」
「でも正吾、犬猫じゃないんだから、世話をやめるわけにはいかないよ?いいんだね」

俺は犬猫を世話しなかった時はないと正吾は内心思ったが、そこはおとなしくうなずく事にした。口にしたら悪口を言いそうだったので黙った。

 そして正吾は、弟を手に入れた。
可愛い弟だった。名前は渡にしてもらった。大きくなったら、どこにでも好きなところに行って欲しかったのだ。

引き取った時は俺の意思だけど、こいつが出て行く時はこいつの意思でだと、正吾は強く思った。

/*/

時が、流れる。

/*/

「渡、お前こういうの好きなのか?」

 虫も殺さぬようなと言うよりは、現代で虫を殺すような子供時代を送る人も大概いないのだが--そんな弟が、熱心にどこかで拾ったらしいプロレス雑誌を見ていたので正吾は驚いた。谷川俊太郎の詩集を置いて正吾は渡の傍による。

渡は、首を振った。

「ううん。……怖い」
「なんだそりゃ」

 正吾は笑いながら渡の頭をなでた。
渡は首をすぼめて、笑う。言葉を続ける、渡。

「怖いから、気になる」
「なるほど……」

納得するようにうなずいた後、考える正吾。
「駄目だぞ」
「何?」
「怖いから気になるで誰かに着いていったら、事件にあうからな」
「うん」

正吾は微笑んだ。渡は弱々しく微笑んだ。
正吾は渡を抱き寄せ、抱っこする。同じ7つでも一回り小さい方に属する渡が弱々しく笑うたびに、なんか守らなきゃと思うのが正吾だった。

「勉強するなら教えようか」
弟が言う。苦笑する正吾。
「そうだな。今度は数学でも教えてもらおうかな」
「うん」

実際の所、正吾は学校でも有数の成績なのだが、家では好んで、馬鹿な兄を喜んで演じていた。渡が人に教える時、嬉しそうにしているのを、もっと伸ばそうと考えていたのである。

半分くらいは、万事控えめな弟が、嬉しそうな顔しているのを見たい、チョー見たいのだった。伸ばそうとか、そういう教育的見地は、後付けであった。

7年たって、正吾、立派な弟ラブである。

「そうだ。俺プロレスラーになってやろうか」
「えぇー……!?兄ちゃんが」
「バッカ、兄ちゃん何やらせてもいけるんだぞ」

弟を抱っこしたまま、自慢する馬鹿兄。
その言葉はあんまり嘘ではないが、嘘に見えるのが正吾である。

「それなら別に、渡は怖くないだろ。一杯見せてやるぞ。ジャーマンスープレックスとか」
渡は正吾の強引な優しさを、断れない体質である。断ると1年ぐらい兄は引きずるからだった。それで、苦笑してうなずいた。輝くように笑う兄。

その日のうちに、正吾は自室の本を全部売っぱらってトレーニング器具を買って帰ってきた。母は卒倒しかけたが渡は己の言葉の持つ価値に恐怖した。

この人は、こう言う人だと渡は何度目かに思った。自分が気をつけないと、兄ちゃんは危ない。
それでますます内気になり、言葉を選ぶようになった。正吾はそれを心配して、余計に世話を焼くようになる。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い 面白い 面白い