第20回 SIDE-B バッドラックボーイ(2)

 遠坂圭吾は、局所的なにわか雨に降られていたが、それに気づいてはいなかった。
気づいていたら、傘をさしていたろう。実際はそれどころではない。気分だった。
招かれざる客、瀬戸口が姿を見せてから、彼は出口のない迷路をさまよっている。

 公園の前を通る。転びかける。
体制を立て直して歩こうとすると今度は道に大きな水たまりがあり、回避しようとすると道に穴があいてゴキブリが走っていたりする。

 さすがに変だと思いそうだが、遠坂圭吾は、正気な時もそれに気づくかどうか、怪しい人物だった。見目麗しい外見とは裏腹に、心も頭も、弱すぎる。

遠坂は脚を、公園に向けた。

 公園を横切ろうと思ったのだった。狭い公園である。歩けば数分である。

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厄の神々は、不運娘の、幸運を祈った。

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 田辺真紀は開業一日目で雨に降られ、閉店に追い込まれていた。
完璧な計画だったが、雨では仕方がない。

すっかり曇った眼鏡を指で拭きながら、田辺は思う。がんばろうと。
そして、人にぶつかった。雨の中で。

間抜けにもほどがある残念な男女の、本人達としては運命の出会いが、それであった。

 眼鏡がどこか飛んで、眼鏡眼鏡……と探す田辺は、起き上がろうとする遠坂の頭にぶつかった。勝ったのは田辺だった。遠坂は派手にのけぞり、神々はおーと喜んだ後、おー?となった。別に勝てばよいと言うのではない。石頭比べる違うである。

「だ、大丈夫ですか」
自身もよろけながら、田辺は眼鏡そっちのけで遠坂を支え起こした。
眼鏡で隠していた涙目が、見上げる遠坂の目にとまる。大きな涙。 落ちないのが、不思議なぐらい。

「すみませんでした、不注意で」
「いえ、あの、私の方こそ、眼鏡、曇ってて」
「眼鏡、ですか」

眼鏡などしないでも貴方は綺麗ですよと遠坂は言いそうになって、手の下で何か踏んで割れた音に、身を凍らせた。
田辺も同時に気づいて、涙目になる。

涙を落としちゃだめです。

落とし物の神がそう全力で言うんだから、それは本当に、そうに違いない。

田辺は上を向いた。
遠坂はその姿を見て、生まれて初めて、女性というものを意識した。つまりは夢の中から、現実に踏み出した。彼はのち、ぼんくらのお坊ちゃんから熊本最強の剣士の一人になるのだが、その長い道のりの一歩目は女の額に全力でぶつかることから始まっている。

「すみません。弁償します」
「い、いいえ。いいんです。すみませんすみません。あの」
「はい」
「お怪我は無いですか?」

頭はまだ痛かったが、遠坂は微笑んだ。
「もちろん」

遠坂は慌ててたち、田辺に手を差し出した。
よく分ってなさそうな田辺の手を握り、立たせる遠坂。
持っていた傘を握らせる。

「雨、降っていますから。これをさしてください。それと、これは、僕の連絡先です」
遠坂は命令書を抜き出して、自分の名前や住所が書いてある封筒を田辺に渡した。

「眼鏡を壊して、すみませんでした。かならず弁償します。それと、その服も。汚してしまいました。それのクリーニングも必ず」

田辺という女の凄いところは、そこで頭を振るところである。
「いえ、いえ。いいんです、そんなことは。貴方が、怪我していなければ」
「大丈夫、丈夫なんです。僕は」

額から派手に血がでている事には気づかず、遠坂は微笑んだ。

「失礼します」
 遠坂としては精一杯微笑んで、遠ざかる。
そこのところで派手に転んだ上に向こう脛を打ったあげくに鼠に尻を噛まれた。
遠坂に駆け寄る田辺。

「だ、大丈夫ですか……?」
「おかしいな、さっきまでは確かに大丈夫だった気がするんですが」

弱々しく、遠坂は微笑んで言った。この期におよんで格好をつけようとするあたりには、後に通じる凄みがあった。

「あの、おうちまで、送りますから」
「いや、僕は重要な任務というか、命令が」
「軍人、さん……?」

軍人と言われるのは嫌だなと、益体もないことを遠坂は思ったあと、今はうなずくしかないところではあった、でなければ身の上話をすることになる。
「すみません。まだ、軍人ではないんですが、徴兵されまして」
「……そう、なんですね」

「ええ、そうなんです。大丈夫です。しばらく休めば、大」
丈夫という前に、遠坂は痛いと飛び上がった、尻を鼠と貧乏神の杖でかみつかれた上に突かれたのであった。

慌てる田辺。

「あ、あの支えます。支えますから、……ずっと」
「すみません……」

遠坂は観念して言った。格好を付けたかったと、本心からそう思った。

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 そうして、旅がはじまった。
血だらけの遠坂と泥だらけの田辺が、寄り添って700m歩くのである。

神々はそれを、感動的な顔で見た。
「よかった。歩き出しました」
「よかったのう、よかったのう」
「これからどうする?」

パンチラ神が見事な技を披露したが、誰も見る物はいなかった。

「ついていくぞ。ぎりぎりまで、見守るのだ。この道中、どうなるかわからん」
貧乏神がそう言うと、神々はうなずいた。

「真紀ちゃんを、届けるのだ。守るために」