竜胆戦記(3)

 私がはじめて青空様の下っ引きとしてお仕えする前に、出会いの話をいたしましょう。

安政の大地震が起きる前の年、年暮れも近い12月の頃でした。
そろそろ寒気も緩みそうなものでしたが、その年は寒さが長引いて、道行く人の挨拶も寒うございますねがほとんどでした。

 魚屋というものは朝は早いものの昼には暇なものでして、私は昼間から鰻屋でお酒を一杯いただきながら、旬の鰻を食べておりました。鰻は冬が旨いのです。

大騒ぎがあったのはその時です。
表を見れば最近多い他所の浪人が剣を抜いておりました。きっと町人とひと悶着あったのでしょう。
太刀筋からして薩摩者のようでした。
 こう、剣を胸元に引き寄せて、チェストーと気迫で切りかかるのでございます。
熊本の基準では天雅とはとても言えませんが、武術と親しくない、素人に人殺しさせるにはよい技であったんでしょう。素人同士の立ち会いは気迫で決まりますし、まず人殺しをする上での最大の敵は自分の良心でございます。

良心は大声で逃げてしまいます。人が人を殺すのは正気では到底いられません。だから大声をあげさせて良心を払うのでございます。

だから黙鼓子(もっこす)でございます。坊っちゃん。
本当に正義を奉じるならば声は小さくなければいけません。そうすれば女子供の心からも、良心はずっと残るでしょう。青空様はいつもぼそぼそと話しておられました。それでいて剣は誰よりも速く走っておりました。

それと比べれば憐れくだんの浪人はひどい武術を教わっていたのです。素人を殺人者にしたてるようなそんな技です。

もっとも私も周囲の人間も、そのときは憐れとは思いませんでした。武士が町人を守るならさておき丸腰相手に剣を抜くのは熊本では袋叩きのいい口実でございました。

いったい、酒に飲まれて暴れるとは熊本では殺されたって文句は言えません。誰にも迷惑かけずに始末もつけられんとは恥も良いところでございます。

ですから野次馬の目も涼やかで、それがますます、剣を抜いた浪人を怒らせているようでした。

浪人は何事か叫びました。

その時でございます。
青空様が白い息を吐きながら大股で歩いてこられたのは。

 その目は金釘で引っ掻いたよう。髪は縮れ、ご一新のあとのように髪があちこちを向いておりました。
なにより目を引くのは長い毛織物を首に巻いていたことで、いくら寒いにしても限度があるだろうと私どもは思ったものでした。

 当時の名うての剣の使い手とおなじように、右手と右足が一緒に出る歩き方をしておりました。

大きな方でした。身の丈は6尺ほどもございました。身の丈が並外れて大きいのに気付いたのは一番最後です。動きが軽やかすぎて、遠目からは大きさに気付かなかったのです。

 今思えばお兄様の慈空様から言いつけられておられたのでしょう。
大変な渋い顔をして、野次馬の列をするりと抜けると、もうそのときには相手の懐に入っておられました。

そして次の瞬間には浪人は盛大に顎をはずして倒れておりました。
青空様はついに抜刀もせずに浪人を倒しておられたのです。

件の浪人は戦いなれておられなかったのでしょう。
切りつける前に手前に踏み込まれたのです。こうなると刀はあまり役立ちません。普通は組手と言ってこう、刀を握りながら素手で立ち会います。
相手はそれすら出来ないで、わずか9寸ほどの距離で剣をふろうとしておりました。
おろかな話です。降り下ろす腕を腕で払われて、猫の手で顎を殴られておりました。ただの一撃でありました。

 猫の手とは、こう指を折り曲げ、掌の一番したで殴る方法でございます。形からして猫の手で、本気で殴ると自らの指の骨を折ってしまうほど鍛練されておられるお武家様は、よく使っておりました。

猫の手を借りるとは、その頃の熊本では単に相手を殺すことですが、他国では笑い話でございました。 我々が武術を磨く間、他国はいったいどれだけ太平を楽しんでおられたのでしょうね。

青空様は、しかし猫の手を借りながらも、相手を殺したりはしませんでした。

逆でございます。青空様は我々が他国の者を殺して面倒が起きないように、そして熊本の町人が剣などで屈しないように、その双方をただの一撃でやってのけたのでございます。

 青空様は浪人の首根っこをつかんで即座に医者のもとへ行き、我々は隠し持っていた武器を下ろしました。

それが出会いで、ございました。

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